大型連休。
これは、はたして必要なものだろうか?
実は大型連休には、さまざまな問題が多く潜んでいる…。
- 交通渋滞
- 列に何時間も並ぶ
こういった、連休にはよくある光景に、うんざりしている人も多いのではないだろうか。
そこで働き方の制度が変化して、大型連休がなくなったらどうなるだろうか。
もしかすると、「大型連休がなくなる」という言葉だけ聞くと落ち込む人が一定数いるかもしれない。しかし、実はもっと多くの人が、好きなタイミングで休みが取れて働きやすくなる未来に近づく結果になるとしたら?
今回は「大型連休」に焦点を当てて、日本の未来について考えていきたいと思う。
目次
未来の日本の働き方は大きく変化する
技術やAIの発展により、今後の働き方は大きく変わることが予想できるだろう。
まさに今でも、コンビニやスーパーなどの無人レジ、単純作業の機械化などは、多くの人に浸透しているのではないだろうか。
それに伴い、働き方の自由度も大きく変わったことだろう。休みの過ごし方についても、連休という概念が薄れ、好きな時にプチ旅行などに気軽に行けるようになった。
とはいえ、もちろんかつての働き方では「大型連休」というものが当たり前だった。学校でも会社でもそうだ。
しかしこの先、もっと働き方が変化していく中で、「大型連休」がなくなる時代が来るかもしれない。
【解決したい課題】
個人の権利を尊重する社会を実現する
【そう思ったきっかけは?】
OL時代、連休と聞くとどこへ出かけようかとワクワクしたり、しばらくゆっくり休める~!と喜んだものだ。
しかし当然ながら、連休中も自由に休めない人や、連休こそ稼ぎ時と連続出勤する人もいる。そういった方々の支えがあってこそ連休を楽しく安全に過ごすことができるのだが、そこに問題はないのだろうか。
もし休日を分散したら、もっと交通渋滞や事故、過剰な設備投資、ブラック労働などが減るかもしれない。
一方、休みの過ごし方についても、テーマパークで1時間並び、街では人混みにイライラし、時間をかけて訪れた店の看板商品が売り切れている。
休みなのに休んだ気がせず、疲れ切って月曜日を迎えるといった経験のある方は多いのではないだろうか。
もっと個人が休日を休日として過ごす権利が尊重されてもいいのではないか。
【何がそうさせているのか?】
産業革命を契機に、工場に代表される計画的な経済活動が大事にされてきた。
例えば、今週は水曜に休んだが来週は月曜に休もう、という個人の都合は無視され、職場に欠員を出さないよう平日出勤でやってきた企業が多かったように思う。
それが形骸化または精神論になってしまって、リモートワークを経験した後も元の体制を望む人は少なくない。
昔は晴耕雨読だった人間も、平日と土日祝日、そして大型連休のある1年をあまりにも長く繰り返してきたため、その社会基盤が人生や思考回路にまで影響してしまっているのではないか。
【既存サービス、取り組みについて】
「星野リゾート」は、大型連休を分散取得すれば、観光事業の売上機会を損ねないとして取り組んでいる
(参考:https://www.travelvoice.jp/20141014-27776/print)
観光客にとっても同じく観光機会を失わずに済むかもしれない。
ルーブル美術の学芸員が嘆いていたが、みな「モナリザ」の前でじっくり鑑賞する間もなく通り過ぎ、スマホで撮影して終わるということだ。
これは観光が分散していればもっと違っているだろう。
そして2020年現在では、感染症拡大防止の目的で、大型連休の分散取得が推奨されている。
【だからこうした方がいいんじゃないか?】
日本から大型連休がなくなり、個に応じた休暇制度となる。
個人的には、義務教育で同じことを学び、大人になっても共通認識をもって交流ができて、仲間意識が感じられることに愛着を覚えている。
ただ、それが場合によっては弊害になるということで、個別のポリシーで生きる時代になってきた。
もはやわざわざ国民一斉に休日をとらなくても、寂しさなど感じなくなるのではないか。
例えば「ゴールデンウィークには」何かをしなくてはならないと感じてしまう、そんなプレッシャーから解放されて、本当に自分に必要なタイミングで休めるようになればいいだろう。
これまでの日本社会では、生理休暇制度があったとしても男性上司に言い出しづらかったり、半ば強制の飲み会で飲まされて二日酔いになっても休むのはご法度だったり、休みに関してあまり個が尊重されていなかったと感じる。
とはいえ、学校行事を休んで家族でレジャーに出かけることや、月末の忙しい時期に好き勝手に休むことが倫理的にいいかどうかは別問題だ。より個に応じた休みの取り方を推奨しつつ、協働する仲間の和を乱さないような倫理観を保つバランスが必要だ。
【なぜそう考えるのか?】
10年前も大型連休の分散が話題となったが、当時のメディア記事には分散のメリットはないという主張が散見される。
取引先との仕事ができなくなるとか、休みをバラバラに取ると帰省や旅行のタイミングを合わせづらくなるといった理由からだ。
しかし2020年の今、感染症の影響で社会のシステムが大きく変わろうとしている。
さらにこの先、人間が常に勤務しなくてもいい時代が来るかもしれない。
そうなったとき、自然に大型連休のあり方は変わるだろう。
ただ、日本の大型連休にはお盆や正月の期間が入っており、文化的に「どうしてもこの日」という休みの取り方になりがちだ。
しかしそれも、儀式の簡素化や風化によっていずれ縛りがなくなっていくかもしれない。
日本から大型連休がなくなる
2040年、日本から大型連休がなくなる。
AIの進歩により、さらに人間が働きやすく、かつ自由度が高まることは予想できるため、大型連休という考え方をいまから改めてみてもいいのかもしれない。