【2032年】交通事故が激減する

1. 【解決したい課題】

交通渋滞のない社会を実現する

 

2. 【そう思ったきっかけは?】

車で移動すると交通費を抑えらえるのはとても良いのですが、道路の込み具合によって目的地までどのくらいかかるかが大幅に変わってしまうのが難点です。

また、ドライバーも長時間運転すると疲労が蓄積して事故の可能性も上がってしまいます。

交通渋滞が解消されて快適な移動を実現することは今後の社会に必要だと感じました。

 

3. 【何がそうさせているのか?】

開かずの踏切が多数存在することが渋滞を引き起こす大きな要因となっています。

ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上の踏切を開かずの踏切と呼びますが、このような踏切が多数存在することで交通渋滞の発生を招いています。

 

4.【既存サービス、取り組みについて】

鉄道の高架化・地下化が進み、踏切が開く時間を長くしたり踏切を無くしたりする取り組みが行われています。

 

5. 【だからこうした方がいいんじゃないか?】

既存の高架化・地下化を推し進めることに加えて、自動車のナビを発達させて踏切の閉まる時刻やそれに伴って発生する渋滞を予測して最適なルートを計算させることが必要だと思います。

 

6. 【なぜそう考えるのか?】

https://www.c-nexco.co.jp/corporate/pressroom/news_release/4577.html

上記サイトによると道路状況と渋滞の関連を学習したAIを使って未来の渋滞を予測することができます。

AIによる渋滞予測を発展させることで、渋滞が本当に発生する前に多くの車が回避行動をとり渋滞の緩和が目指せます。

 

7. 【20XX年、未来はこうなる! 】

自動運転化が進み、事故の発生率がまず大幅に下がると思います。

それによって事故に伴って発生する交通渋滞も減少することが予想されます。

また完全自動運転化して各車間でち密な情報のやり取りが行われ、広範囲で多数の車が移動する際に渋滞せずスムーズに移動できる最適なルートを提示することができるようになると思います。

 

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気付き

自動運転が実現すれば渋滞も事故も無くなるだろう。

そんな意見が大多数を占めていてこれには賛成です。

 

でも、あえてここは自動運転に対して批判的な考えをしてみようかなと思いました。

例えば魂の駆動体という作品をご存知でしょうか。

 

魂の駆動体とは、日本のSF小説である。作者は「戦闘妖精・雪風」シリーズで知られる神林長平。

概要
人が運転する「クルマ」がほぼ絶滅している近未来の日本と、人類が滅びた遠い未来の地球という二つの世界が舞台。運転することを楽しめる本来のクルマを介し、人間が本質的に求める自由やスピードの快感、そして人間とは何かというものを考察する内容となっている。またクルマ作りを通じて、物事を設計し開発することの偉大さをも示している。自動車に関する技術や原理に関することも、丁寧に触れられている。登場人物に熱い心を持った者が多いと言うのも特徴。

物語は「過去」「未来」「現在」の三部からなっている。

あらすじ
技術が高度に発達した時代の日本。人口全体としては減っているものの都市部では人口が密集し、人々は一区画が小さい狭い居住区の中で住む者と、閑散とした田舎に住むものに分かれていた。さらに人間の意識を巨大なコンピューターシステムに移す「HIタンク」の開発が進んでおり、人間は肉体を捨て、デジタル世界にユートピアを求めようとしている。自動車は道路と統合された交通システムになっており、モーター駆動のそれは操縦の全てが自動化されていて、人々は個人の車を所有することすらなくなっていた。人間が運転する「クルマ」は一部の好事家だけが保有しており、それも公道を走ることすら許されない。

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2000年に描かれたこの作品は、人はなぜ車を愛するのかという部分に踏み込んでいます。

車は故障するし病気にもなる、眠りにつく時もあるし力強い鼓動と声で突き進む時だってある。

まるで文字だけ見ると車には命が宿っているような錯覚を起こします。

 

抽象的な見方をすれば、車とは自動だろうが手動だろうがどこまで行っても人を運ぶ乗り物です。

車は誰かを何かを乗せて運ぶから車なのであって、誰も何も乗せずに目的地まで走る車は車なのでしょうか。

 

人は車に乗ることで喜ぶわけではなく、車を運転して一体感を感じることに喜びを見出す。

人は相棒とともにアクセルを踏み、自由へと疾走すること自体が好きなのかもしれないですね。

 

自動運転とは、人が持つ「目的地まで行きたい」という欲求に応えるものであるけど、その場合の車は相棒ではなく手段として見られる。

 

自動運転は進みますが、手動運転は廃れない。

自動運転が生み出すメリットは重々承知しながらも、人は作り手の熱い想いを忘れられない。

なぜなら人は、車を生き物と見立てているからです。

 

もし本当に自動運転が普及して事故や渋滞が無くなった時、

渋滞が無くなったことによるある種の不満や事故が起きなくなったことによる刺激の喪失というように、

そのうち人はある種ワガママな要望を言い出すのではないかなと思いました。

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