【2030年】視覚障がい者のスーパー集団が活躍する

1. 【解決したい課題】

社会的マイノリティが活躍する社会を実現する

 

2. 【そう思ったきっかけは?】

瞽女(ごぜ)さんをご存知だろうか。

かつて東北地方にいた盲目の女旅芸人だ。

 

瞽女集団は、現在の新潟県上越あたりを拠点に、一年のほとんどを旅して三味線を弾き唄って回った。

そこは豪雪地域、弱視の瞽女さんを先頭に、全盲の瞽女さんは前をゆく人の背負うカゴや着物のすそをつかみながら、みなで身を寄せ合って進む。

 

瞽女さんの訪れる時期は決まっており、村々ではその地の有力者が瞽女宿を用意して、瞽女さんが来るころになると総出で準備し丁重にもてなしたという。

もちろん宿代は無料だ。目の不自由な女性が山を越えて唄いにくるということは大変めでたく、視力の代わりに霊力を宿していると考えられていた。

 

この瞽女さんを知ったのは、斎藤真一という画家が描いた作品がきっかけだった。

不気味にもみえる瞽女さんの画だが、そこにはその人生の哀しさと過酷さが込められていたのだろう。

瞽女さんは明治末期以降は衰退し、最後の瞽女といわれた小林ハルさんも亡くなった。

 

しかし、この人々と歴史のことは決して忘れず未来に活かしていきたいと考えた。

 

3. 【何がそうさせているのか?】

平安・鎌倉時代より江戸にかけて「検校」という視覚障がい者に特別の地位を与える制度があった。

それによって、あんま・鍼・灸の道や琵琶などで名を残した人はいるが、制度に加われたのはごく一部の人間だけだったという。

 

大多数の視覚障がい者は、裕福な家でないかぎり食い扶持として邪険にされ、乞食になる者もいたとのことだ。

(参考:https://www.mskj.or.jp/report/2804.html

 

現在、視覚障がい者の生きる道はさまざまだ。

平成27年の調査によると、視覚障がい者の就職率は45%前後で、「あはき業」といわれる、あんま・鍼・灸の職に携わる人が半数以上といった状況である。

 

障がいの程度によってはさまざまな仕事に携われる可能性はあるが、企業の理解不足などから採用はいまだ厳しいようだ。

(参考:https://challenge.persol-group.co.jp/lab/fundamental/work/work002/

 

「検校」制度をはじめ、障がい者への福祉は長く行われてきたが、既得権益化することで問題も生じ、本当に助けが必要な視覚障がい者に制度がゆきわたらない事態も生じた。

また、優遇措置が受けられなかった場合、近隣住民などによる相互扶助で暮らしていたが、そこから哀れみや侮蔑などの差別意識も生まれていた。

 

4.【既存サービス、取り組みについて】

視覚障がい者をサポートしようという取り組みは、介助者や杖、音声ガイダンスなどのほかに、点字がある。

点字については、視覚障がい者の学習によって使うことができる。

 

つまり、視覚情報のあふれる世の中で、生きる力を身につけるということだ。

 

また、全盲の世界的ピアニスト辻井伸之氏のように、幼いころから鋭い聴力や音楽センスを磨いて一流プレーヤーになるといった場合もある。

補助金や家族の介助だけで暮らせるのなら、それもひとつの生きる道だ。

 

ただ、教育や鍛錬によって自分自身に生きる手段を身に着けるというのは、本人にとっても自立できるといった自信となるのではないだろうか。

さらに、最近ではテクノロジーの発展により、視覚情報を補うことがより可能になってきた。

 

今では生活に欠かせないIT機器においても、音声読み上げ機能や音声入力などの精度が上がってきている。

 

5. 【だからこうした方がいいんじゃないか?】

視覚障がい者が再び特別な価値をもつ社会へ。

これまでも優れた仕事を残した視覚障がい者はいたものの、これからは全ての視覚障がい者が能力を認められ自立できるような世の中になればいいと思う。

 

しかし、果たして健常者と同じことができるようになることだけが正解だろうか。

 

瞽女さんには、視覚障がい者が生きる術を身に着け、集団となって生活を支え合ってきた歴史がある。

しかしとても過酷な稽古や戒律があってとても楽とは言えず、これをそのまま現代によみがえらせたいわけではない。

 

ただ、視覚障がい者を本当のところで理解できるのは視覚障がい者だけかもしれないし、組織となって力を持ち能力を存分に社会にアピールすることで、畏敬の念が生まれるのではないだろうか。

近年は「平等」を目指すきらいがあったが、そもそも障がい者を下にして健常者に追いつくようサポートするという思想になっていなかっただろうか。

お情けですごいすごいと褒めるのも違う気がする。

 

視覚障がいのない者には持てない能力を持つ人々としての地位を確立する方が、私は健全だと感じる。

 

6. 【なぜそう考えるのか?】

最近はテクノロジーの発展により、視覚障がいがあってもパフォーマンスを上げることができるようになってきた。

さらに、視覚障がい者のもつ鋭い感覚は、音楽や空間把握などにおいて優れた能力を発揮すると注目されている。

 

障がいといっても程度はさまざまで、健常者と同じ条件で働ける人もいるだろう。

ただ重度の場合、健常者と同じ環境を求めるとそこに「不平等」が生じてしまう。

それは果たして差別のない状態といえるのか。

 

健常者がどんなに頑張っても到達できない感覚や能力を磨き、それを武器に仕事や活動をするスーパー集団ができることを想像するとワクワクする。

そこに差別は生まれないのか。

 

私は、瞽女さんのことを自分とは違う人間だとは思うが、同じ人間でもあると思う。

そして自分より劣っているとか下だとは考えない。それはダイバーシティの感覚であるといえるだろう。

 

決して相手を自分と同じ人間だと安易に理解してはいけない。

どんな人でも優れたところを尊重し、畏敬の念をもって接することがなにより大切なのではないだろうか。

 

7. 【20XX年、未来はこうなる! 】

2030年 視覚障がい者のスーパー集団が活躍する

 

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